はじめまして。
千葉県市川市行徳にある、ホシノ天然酵母パン教室「アトリエ・ド・ギャミーヌ」のたなかともこです。
「天然酵母のパン作りには興味があるけど難しそう」
「天然酵母のパンを作ったことがあるけど、かたくてふくらまなかった」
そんな思いをされたことはありませんか?
実は私もパン作りを始めた頃はそう思っていました。
そんな私が今では自分好みに自由にパンを作れるようになれたのは、
パン作りについて専門的に学ぶうちにインスタントドライイーストも天然酵母も基本は同じだということが分かってからなのです。
基本が身についてからからは、
「インスタントドライイーストならうまくできるのに、天然酵母だとふんわり焼きあがらない」
ということはなくなりましたね。
私が基本にこだわったレッスンをしているのは、生徒のみなさまにはパン作りをはじめたころの自分のように、うまくいかない理由が分からなくて
「なんでだろう?なんでだろう?」
と悩まずに済んで欲しいという思いがあるからなのです。
このようにほんの少しこだわりが強いレッスンだからか、生徒さまからは「ずっとパンや食に関する仕事をしてきたんですか?」と聞かれることがよくあります。
でも実はそんなことなく、ここに至るまではまったく違う仕事を経験してきたんですよ。
ではなぜ私がパン教室を開業することになったの?
というお話をここではさせていただきたいと思います。
これを読んで、少しでもあなたにとって身近な存在に感じていただければ幸いです。
フランス料理人に憧れる
私は6歳から20歳までのほとんどを東京都国立市で過ごしました。
「ほとんど」というのは、途中2年間だけ父の仕事の関係で名古屋に住んでいたからです。
国立市というのは一橋大学をはじめ、高校から専門学校、体育大に音楽大、いろいろな学校が並ぶ文教地区です。
それと同時に、昔からフレンチレストランやパン屋、ケーキ屋の多い町でもありました。
その中の老舗の一軒に家族で訪れたことがあります。
何を食べたのかはっきり覚えていませんが、ひとつだけ記憶にあるのが「さつまいものポタージュ」。
きれいなお皿に少しだけ盛り付けられたスープでしたがすごくおいしかったです。
後日、母が真似して家でも作ってくれてから、「さつまいものポタージュ」は我が家の定番メニューになりました。
このように母はいろいろな料理を作ってくれる人でしたので、
その影響からか高校生のときに漠然と「将来は料理を仕事にしたいなぁ」と考えるようになりました。
選んだ道は・・・
近所にはフレンチを専門に習える辻調理師専門学校の姉妹校「エコール・キュリネール(現在のエコール・辻)」もあり、
「あそこに通いたいな」
と思い体験入学に行くなど進学先として考えていました。
といっても、今思えば本気ではなく、進学校に通っていたわりに勉強が好きではなかったから、大学受験から逃げたかっただけだったように思います。
進路を決めなくてはならないころ、学校の先生に
「フランス料理の専門学校に行きたい!」
と相談。すると先生は私がそれほど本気ではないのを見抜いていたのか
「専門学校はいつでも行けるから、それならフランス語でも勉強しておけよ。
もし料理の道に進んだら役に立つぞ。」
ととある大学のフランス文学科の指定校推薦を紹介してくれました。
近所のケーキ屋さんやパン屋さんにも相談しましたが、アドバイスは同じ。
というか、お二人とも大学を出て就職してからケーキ屋なりパン屋になったとのことでした。
結局、私は高校の先生が薦めてくれた大学に入学。
近所の小さなフレンチレストランでホールと洗い物のアルバイトを始めました。
挫折、それから旅へ・・・
ところがこれがなかなかうまくいかない。
背が低いから厨房から皿が出される棚にも手が届きにくい。
店が混みだすとテンパってしまってデザートを出すのが遅れてしまう。
「今日はよくやれた!」と思える日がとにかく少ない。
また、のほほんと育った私には、荒々しい態度の料理人たちと馴染むのも難しかったように思います。
何ヶ月か続けていましたが、夢やぶれて、、、辞めてしまいました。
(今思うと、弱っちぃ大学生ですね(^_^;))
そうなると、急に目標もなくダラダラと過ごす日々に。
「これではいけない!」
と思い立ち、友だちと二人で「自分探しの旅に出よう!」と東南アジアにバックパックを背負って旅にでかけました。
ちょうどバックパックを背負う学生の貧乏旅行が流行っていた時代。
タイのバンコクから入国し、マレーシアを南下してシンガポールから出国。バンコクとシンガポール以外は宿を予約せず、行き当たりばったりの旅でした。
「今日は宿に泊まれないかも!」
「船が故障!!」
なんていうハプニングもしょっちゅう!
でも、そんなハプニングも含め、その旅では何もかもが新鮮でかけがえのないものとなりました。
中でも、旅で出会った日本人の大学生や、同い年の外国人の女の子たちと食卓を囲み、片言の英語で話し、笑い、将来について語り過ごした素晴らしい時間は今でも忘れません。
そしてその時から、
「もっといろんな人と出会ってみたい」
と思うようになり、大学の交換留学生としてフランスに一年間留学することに決めました。
フランスへ~世界の食文化に触れる~
フランスでは世界中の国の学生たちと机を並べ、語学をはじめフランスの文化についてたくさんのことを学びました。
しかし、私にとってこの留学で一番の学びとなったのは学校の授業で習ったことではなく、アパートに帰ってからの毎日の食事から学んだ「世界の食文化」だったと思っています。
大学寮であるアパートには世界各国から学生たちが集っています。
彼らと自分の国の料理を持ち寄って夕食をともにしたり、それぞれの国の料理を教え合ったりすることもありました。
また、フランス料理に関していえば、貧乏学生でしたので豪華なフルコースを食べに行ったり、高価な食材で料理を作るわけではなかったのですが、スーパーに行っては見たこともない食材や調味料やチーズ、スパイスを買ってみたり、とにかく学校の授業が終わると食べることでいつも頭がいっぱいでした!
この留学はフランスをはじめ、まさに世界の食文化に触れた1年であり、「食」というものにあらためて興味を持つきっかけになったのです。
また、私がハード系のパンが好きになったのもフランスで過ごした一年があるからだと思います。
毎日のように食べるバゲットはそれはそれはおいしく、毎回感動していたものです。
帰国と就職
帰国したのは大学3年生の終わりの2月。就職最氷河期の時代です。
空港に迎えにきてくれた父に、
「大学院に進みたい」
と話したところ、
「1年間十分遊んだんだ(!)寝ぼけたこと言っていないで早く就職しろ」
と一蹴(^_^;)
仕方ないので腹をくくり、就職活動を始めました。
最初はフランス語を活かせる会社ということで商社なども受けましたが全敗。
何しろ、大きな銀行は合併して名前を変え採用も大幅削減、有名商社は一般職の採用を取りやめ、航空会社はCAは新卒でも契約社員として採用。大手企業も採用枠を大幅に減らしていた時代です。
そんな中、ラッキーなことに大手通信会社にいわゆる総合職として合格!
入社してからは、何に自分が興味があって、何になりたくてなんてことはすっかり忘れ(!)、毎日の仕事が新鮮で楽しくてとても充実していました。
同期や同僚の先輩にも恵まれ、
「ずっとこの会社で働いてもいい!」
と思うほどでした。
仕事に行き詰まる
結婚し、子どもが生まれ、それでも仕事は続けていました。
入社以来、数年ごとに業務は転々としましたが、
コールセンター運営、コンテンツ販売、インターネットプロバイダーのWebサイト運営を経て、
2人目の子どもの育児休職明けには営業アシスタントに従事。
営業部は毎日が修羅場のように忙しく刺激的ではありましたが、
今後のキャリアプランを考えたときに、以前に経験したWebに関する専門性を生かした部門に異動することにしました。
異動先は会社のWebサイト運営からネットマーケティングすべてを担っている部署。
Webサイト運営は経験したことはありましたが、以前とは規模が違います。
今回は何千ページとあるサイト運営です。
大きなお金を使って広告を出稿したりもします。
希望して異動した部署でしたし、もともとWebサイトを企画することが好きだったのでやりがいのある仕事でした。
一方、子どもの年齢に比例するかのように、働く時間も増加。
仕事をうまく回せず期限ぎりぎりになって家に持ち帰ることも増えていきました。
勤めていた会社はとにかくスピードが命のようなところでしたし、
業界的にも、スマホ発売に始まりクラウド、AI、IoT、、、技術進歩がとにかく早い。
優秀な若手もどんどん入ってくる。
「もうついていけない。。。」
ある日、そう思ってしまいました。
それからは会社を辞めることばかり考えるように。
そんなとき、
「どうせ辞めるなら次は好きなことをやってみたい!」
と思い、会社を辞めることが前向きな方向に進むステップとなっていきました。
パン教室講師への道
その頃、料理への道はとっくに諦めていましたが、趣味でパン作りをしていました。
当時通っていたパン教室がとても素敵なところで、
「いつか私もパン教室やりたいなぁ」とぼんやりとですが考えることがありました。
そうです!
次に選んだ仕事こそが「パン教室講師」だったのです!
決めたら実行!
会社を辞める前から、高校生のときに通ってみたかった辻調理師専門学校の通信教育で製パン理論を学び始めました。
習っていた教室はとってもおしゃれで素敵でしたが、
パン作りの「なぜ?」についてはまったく教えてもらえず・・・
自分が教えるなら生徒さんたちの「なぜ?」に答えたいと思ったからです。
そして、会社辞めるのと同時に、育児休職中の後輩を集めてパン教室開業までのモニターとしてパンを教えさせてもらいました。
誰かにパン作りを教えたことはなかったので、レシピをどうやって書けばわかりやすいのかということから、レッスンをスムーズに進めるための事前準備、レッスンの進め方など、試行錯誤しながらのパン教室でした。
あの期間があったから今があるのだと、通ってくれた後輩たちには今でも感謝の気持ちでいっぱいです。
その後、Webサイト運営の経験を活かし、パン教室のホームページを開設。
ありがたいことに少しずつ通ってくれる生徒さんも増えてきました。
そして2019年7月、「カジュアル変換レシピのホシノ天然酵母パン教室」としてリニューアルしました。
通ってくださるみなさまにお教えするうちに、
「『自分好みのパン作りができるようになる』ようにお手伝いしたい」
と思うようになり、どのようにしたらよいのか長い間考えてきました。
そこでたどり着いたのが「カジュアル変換レシピ」というコンセプトとそれに基づいたコースレッスンです。
私の作るレシピが「絶対」なのではなく、あなた好みのパンが作れるレシピに「カジュアル変換」していただきたい。
パン作りの基礎を体系的にギュッと詰め込んだこのコースレッスンなら受講後には好みのパンを作っていただけると確信しています。
さて、このようなレッスンを提供するようになるまでいろいろ遠回りをしましたが、パン教室講師という若い頃に憧れていた「食」の道に進み、大いに毎日を楽しんでおります。
食べること・料理すること・パンを作ることが大好きです。
そして、パン好きなみなさまに自分らしいパン作りができるようにお手伝いできること、レッスンで一緒に楽しい時間を過ごさせてただくことはこれ以上ない幸せです!
こんな私ですが、どうぞよろしくお願いいたします。
<経歴>
・通信会社に15年以上勤務後、パン教室を開業
・辻調調理師専門学校製パンコース終了
・辻調理師専門学校製パン講習会、有名パン屋の講習会などに参加し、現在も製パンを勉強中
・短時間でできるパンから、天然酵母を使用した長時間発酵のパンまで幅広くレシピを考案
・裏千家茶名拝受